北東北はきはき紀行〜予定調和何回目?〜 一日目
 2008年11月22日 どう見ても無理やりすぎるなこのタイトル

まえがき

 この旅行記、最初は「北東北ぐだぐだ紀行 ぱーと2」みたいな感じだった気がするんですけど、「index.html(旅行記一覧)」を弄ってたら「上の旅行記(『北東北ぐだぐだ奇行』)と対にしようぜ!」って思い始めて…。

前回の反省を踏まえて

 今回の旅行では、前回の旅行を踏まえて、以下の対策をとることにした。

本題

東京14:56―(はやて23号)―16:37仙台16:59―(仙石線)―18:13石巻18:18―(石巻線)―18:46女川18:54―(石巻線)―19:21石巻19:25―(仙石線)―20:49仙台

 今日は、またしても、世間では三連休初日、だがしかし私の学校では普通に授業が行われ、しかも、単位にかかわる重要な行事とかし始めちゃったせいで午後二時まで拘束されてしまった。山手線の内側にある学校とは言え、これは結構やばい、と思って駅まで猛ダッシュとかしてしまったが、意外となんとかなってしまった。というか東京駅に三十分も前についてしまった。おかげですることがない。

 今回も前回と同じく、北東北を三連休パスで乗りつぶしていこうと思う。まずは手始めに、昔、マイナス七分乗換というとんでもない計画ミスで乗り残してしまった仙石線末端部を乗りつぶそう。たぶんここを乗りつぶせば、土・日きっぷが使えるエリアでの未乗区間は長野新幹線だけになる。

 大宮から仙台まで全く止まらないという素晴らしい超特急はやて号では特に何もなく、仙台駅に降り立った。

 これから乗る仙石線は文字通り、台と巻を結んでいる。正確には仙台の隣のあおば通りから石巻だが。「元々この路線が宮城電気鉄道だった時の仙台駅は今より西にあってー」などと語り始めるときりがないので止めようかと思ったが字数稼ぎにちょうどいいのでお兄さんが語ってやろう。

 石巻線は、もともと宮城電鉄という路線で、戦時中に国に買収されて「国鉄石巻線」になった。

 

 当時、官営鉄道の仙台駅は西口しかなかったらしく、東から延びてきた宮城電鉄は地下で線路をくぐって仙台駅の西口まで通してそこに宮電仙台駅を作った。ちなみにこの区間は日本の鉄道史上初の地下区間で、銀座線が開業するのに先立つこと二年のことであった。

 が、戦時買収されたので、「宮電仙台駅」から「宮電」をはずして、少し離れた所にあるのに「仙台駅」と改称、仙台の隣の駅は「仙台東口駅」となった。

 その後、仙台駅から仙台東口駅間の地下区間を地下通路とすることになったため、仙台駅を廃止して仙台東口駅を新たに仙台駅に改称した。

 そして、仙石線の立体交差化により仙台からしばらく先の区間が地下化し、ついでにあおば通り駅まで延長したのだ。

 川島令三氏の著書には「東口から西口の間はずっと休止状態だったが、西口があおば通りとして復活した」とあるが「wikipedia」には「仙台―仙台東口間休止の後数ヶ月後に廃止」って書いてある。どっちが正しいんでしょうか。

←まるで地下鉄のような仙石線仙台駅

 さて、地下化したせいで新幹線ホーム(三階)からかなり乗り換えに時間がかかることになってしまった。かなり乗り換え時間に余裕を持たせたが、そのせいか時間が余ってしまった。

 石巻駅の接続が実は結構ぎりぎりな気がするので、何号車にいれば一番近いのかを駅員に聞いてみた。ほら、東京だと地下鉄とかに各駅の出口が何号車とかいう表が貼ってあるじゃないですか。

駅員A「少々お待ちください」

 ええっと……。東京の感覚で聞くのがいけなかったらしい。彼は電話をし始めたではないか! 

 電話がつながらなかったのか、次に駅員Aは駅員Bを召喚して聞き始めた。だがわからなかいらしい。

 最後に彼は業務用携帯電話でどこかに電話をしていたが…

駅員A「すいません。わかりかねます。」

 この間、約5分。時間を潰せたが、なんだか申し訳ない気分になってきた。


 結局わからなかったが、二年前に石巻駅に行った時の記憶を頼りに一番先頭の車両に移動した。

 なんだか東京にもいっぱいいたよなーって感じの車両(205系)に乗って、一時間。列車は石巻駅に到着した。外は真っ暗。気にしてはいけないんだろうけど、こんな夜中に乗りつぶしてどうするんだろう。

 私の勘(というよりは記憶)は的中したらしく、先頭が一番近かったらしい。

←うろ覚えで描いた石巻駅構内図。合っている保証はどこにもない。

 これから乗る石巻線末端部は非電化である。というか石巻線全体が非電化なのだが。国鉄時代は宮城電気時代の名残で石巻線と仙石線の駅舎が分かれていて、一度改札を出て乗り換える必要があったらしい。当時は仙石線(電化)を「電車駅」、石巻線(非電化)を「汽車駅」と呼んで区別していたそうだ。一般人があまり気にしない、電化しているかどうかというのがここでは非常に重要だったらしい。

 東北地方でわりとよく見かけるキハ40系というボロ気動車に乗って女川へ。石巻線と言いつつ小牛田(こごた)から石巻を通り越して女川まで結んでいるのだ。

 数年前、マイナス七分乗換をしないと女川に行けないというありえない計画を実行してしまった私は、リベンジを誓う。前回のぐだぐだといい、数年前と言い、北東北に行くと呪われるんじゃなかろうか?

 女川と言えば漁港が有名だと、小学校の頃N研という塾で教えてくれたが、何がよくとれるのかを忘れた。

 そもそも観光もせずに折り返す乗りつぶし客には関係ないか。大体もう夜だ。

「チリ地震津波 階段の青い所まで波が押し寄せました」

 地球の反対側のチリの大地震で発生した津波が太平洋を経由して何故か日本までやってきたという話だ。チリ地震の話を聞くたびに思うのだが、ハワイとかはどうだったのだろうか?

 ↑なんか止まっていたがこれは一体なんだったんだ。フラッシュを焚いてもなんだかわからなかった。

 気づけば車内は同業者だらけ。三連休って素晴らしい。

 このあと、来た道を戻って仙台に行った。


 今回の宿は仙台駅から徒歩10分くらいらしい。ホテルの公式サイトから入手した地図には「ラオックス」と書いてあってそれを頼りに行こうとしたが、そもそもラオックスが残ってなくて、別の電器屋を頼りに行こうとしたら道を間違えた。おかげでホテルについたのは仙台駅到着の一時間半後であった。嗚呼、どうして鉄道以外のことになるとこうも方向音痴になるのだろうか。



 ちなみに泊まったホテルは「プリンスホテル」などというかっこいい名前がついていたが、別に西武鉄道関連のあのホテルではなく(そっちのプリンスホテルだったら、宿泊費の桁がたぶん一つか二つずれている)、本当にただの安宿であった。いくら四千円台だからってエアコンもついてないのは如何なものかと思うのだが。




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