ちょっと松山行ってくる 2日目
2007年12月30日 名古屋はええよ

小田原00:31―(ムーンライトながら)―06:06名古屋06:17―(関西本線普通)―07:32亀山07:38―(紀勢本線・参宮線普通)―09:21伊勢市09:25―(快速みえ51号)―09:38鳥羽09:47―(参宮線・紀勢本線普通)―10:23松阪11:15―(名松線普通)―12:28伊勢奥津13:37―(名松線普通)―14:55松阪14:58―(紀勢本線普通)―15:38亀山15:42―(関西本線普通)16:07柘植16:15―(草津線普通)―17:01草津17:07―(東海道本線新快速)―17:27京都17:38―(奈良線普通)―18:43木津18:52―(片町線・JR東西線快速)―19:59北新地―三宮

 なんかの楽曲のタイトルの一部をパクっているようにしか見えないのはたぶん気のせいではありません。やっとかめー。

 豊橋から全車両自由席という、一般人には何を言っているのかわからないであろう制度なのだが、(要するに豊橋まで全部指定席だったのが突然全部自由席になるので、名古屋周辺の地元民が通勤電車として利用する)そんなことはどうでもよく、豊橋で無駄に45分停車するので(そんなことするくらいなら大垣到着をもう少し早く出来ないものか)、駅前のコンビニに買い出しに行く人が後を絶たない。

 駅前のローソンに行こうとするのだが、寒すぎる。マフラーすら役に立たない。

寒さの中、ローソンに行く。ここにはある思い出があって、約1年前(このときから数えて)の2007年1月のことだった。

 ある朝、俺はムーンライトながらから、言い出せん飯田線の始発に乗り換えようとしていた。飯田線を7時間かけて完乗し、暇人の仲間入りを果たすためだ。そして、ムーンライトながらを降りて、ローソンへ向かい、そこでまったりカップラーメンをすすっていると、突然客がものすごい走った後に店員が発狂してガラスのドアに突っ込み、ガラスにもろに突っ込んだ。そして俺は一部始終を眺めていた。

 まあ、こんな裏話があるので気まずいと言っちゃきまずいような気もするのだが、あの時の店員は今いるのだろうかと思ってやってきた。はたして…

 眼鏡の二十代から三十代の男性ということしか覚えてないので、似たような店員が二人いてどっちかわからなかった。

 じゃがりこだけ購入して店を出て戻る。小腹がすいたとき用だったのだが…。

 豊橋からほとんど各駅に停車しながら名古屋へ向かう。この電車は大垣行きだが、名古屋で降りる(はず)。それにしても、このかったるさがたまらない。

 無事に爆睡しながら大垣まで行くとかそういうこともせずに名古屋で降りられたのでよしとする(は?)。

 ここから、関西線に乗り換えて、販売休止中の赤福の販売状況を確かめるために鳥羽を目指す。というのは冗談で、参宮線乗りつぶしのために鳥羽へ行く。乗るのが主目的になってるのが「乗り鉄」といわれる人たち。ごく一部っぽいが、自分たちは人畜無害だという意識から可希に鉄道撮影を趣味とする「撮り鉄」(珍しい列車が来ると沿線に大量に集まる人たち)を鉄道ファンのイメージを低下させていると思っている人種もいるらしい。

 きしめん屋くらいあいているだろうと思っていたのだが、どこのきしめん屋も6時半からか7時から営業の店で、乗ろうとしている関西本線の列車には間に合わない。畜生。よって、朝飯は豊橋のローソンで買ったじゃがりこのみ。食糧事情悪いってレベルじゃねーぞ。

 せっかく名古屋に来たのに「味噌煮込み」も「海老フライ」も「あわゆき」も「ういろう」も食べないでスルーというのは多少悲しい気もするが、赤福を買いに来たので関係ない、と思いたい。(※ちなみに、当時は、赤福はおろか類似品の御福餅すらまだ販売再開がされていない。


 やたら長いホームにたった三両編成の電車が入ってきた。これが今の地方の鉄道の終了っぷりとJR東海の合理化政策を同時に象徴している気がして悲しいが、転換クロスシートとかいうやつである。

 湘南新宿ラインに転換クロスシートを導入すべきであるなんて主張したら、川島令三(鉄道アナキストアナリスト)と呼ばれるのが目に見えているので、言わない。でもあのJR四国でさえ導入してるんだぜ?

 その三両編成に乗って、亀山へ向かう。亀山なんてアクオスの工場くらいしか思い浮かべられないが。

 どうせ終点だし起こしてくれるだろうと淡い期待を抱いて私は眠り始めた。さっきながらで机に突っ伏して寝てただろうという突っ込みはなしである。いつでも眠いのだ。

 ZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZ

おはようございます。腐りかけた朝です。

 お目覚めのようです。はい、起きたら電車が反対方向に動いていました。亀山までの区間にスイッチバック駅なんてあったっけと思っていると、電光案内表示にこう書いてありました。

次は 加佐登

 か…さ…ど…?どこそれ。地方に行くと駅名見てもどこにいるんだかぴんとこないのだが、時刻表を開いてみた。

 要するに加佐登というのは亀山の手前にある。そして、電車は寝る前とは逆方向に進んでいる。ということは…

 どうやら、寝たまま折り返したらしい。

 めのまえがまっくらになった。三両編成なんだからたたき起こすくらいはしろよJR東海…東急大井町線のやる気なさそうな車掌だって二子玉川で折り返すときは起こすさ。大井町線の方がはるかにましであることが証明された。

 どうしたら元の計画に戻せるのかを検証した結果、四日市で降りて快速みえ51号鳥羽行きに乗ればいいという結論に至った。この電車、ひとつだけ問題があった。

 青春18きっぷはJR線でしか使えないのだが(早い話がりんかい線や東京モノレールでは使えない)、この快速みえとかいうのは伊勢鉄道というJRではなく私鉄を通るので、伊勢鉄道の運賃490円が必要なのだ。

 しかも、この伊勢鉄道は国鉄時代はちゃんと国鉄伊勢線という名称で当時から特急などの短絡ルートとして機能していたのに、特急が伊勢線内無停車だから(=普通列車の利用者数しか計算しない)という理由で民営化の際分離することになってしまった。お役所仕事の真髄を見せつけた結果であるが、ともかくこの釈然としない経緯で分離したのだから490円払わないといけないらしい。しかし、背に腹は代えられぬ。

小田原00:31―(ムーンライトながら)―06:06名古屋06:17―(関西本線普通)―07:32亀山07:38―(紀勢本線・参宮線普通)09:21伊勢市09:2507:51―(関西本線普通)―08:17四日市08:19―(快速みえ51号)―09:38鳥羽09:47―(参宮線・紀勢本線普通)―10:23松阪11:15―(名松線普通)―12:28伊勢奥津13:37―(名松線普通)―14:55松阪14:58―(紀勢本線普通)―15:38亀山15:42―(関西本線普通)―16:07柘植16:15―(草津線普通)―17:01草津17:07―(東海道本線新快速)―17:27京都17:38―(奈良線普通)―18:43木津18:52―(片町線・JR東西線快速)―19:59北新地―三宮

 四日市でやってきた快速みえは2両編成。これで0.5両分だけ指定席というよくわからないことを成し遂げてくれる。名古屋から鳥羽へ行くには近鉄に客を奪われているから2両なのだろうが、立ち席が出まくりである。早急に増結するべきである(川島令三風に)。

 伊勢鉄道の鈴鹿駅を発車した直後からものすごい勢いで検札を始めた。そしてこの電車は2両編成。いやあ、逃げられないですねえ。

(←?に見えるが「つ」)

 しっかり490円巻き上げられた支払ったあと、津に到着。そして、一気にどどどどどどと客が降りる。何でわざわざ伊勢鉄道の運賃を払ってまで名古屋から津まで行く客がいたのかは今でも不明。近鉄を使えばいいと思うよ。

 着席した瞬間、どうせ折り返しのみえ6号はこの車両を使うんだろうと思って睡眠開始しようとすると…

 「この列車、ただいま15分ほど遅れて運転しております。」

 でも特に気にせず睡眠開始

鳥羽一郎っ!!

 起きたら鳥羽の手前。15分ほど遅れて運転していたのは結局回復しなかったらしい。まあどうせこれが折り返しみえ6号になるのだろうと思ったのだが、ホームに乗客とおぼしき人物はいないし、一向に発車する気配がない。駅員に聞いてみた。

「あの…みえ6号は…」
「さっき発車したけど…お客さんみ51号に乗ってきたんだろう?鳥羽の前ですれ違わなかった?」

 どうやら私が寝ている間にすれ違っていたらしい。みえ6号に乗れないと後で予定が狂う。後続の普通電車では遅すぎである。謝罪と賠償を要求する。

 むしゃくしゃしたので駅前を散歩。「祝!鳥羽一郎紅白歌合戦20回出場記念!」そういえば明日でしたね、演歌なんて興味ないけど。

 某歴史シミュレーションゲームで異常に強い鉄甲船を開発したとされる九鬼なんとかの記念碑が置いてあったり、「鳥羽水族館」と書かれたコインランドリーくらいの広さしかない建物(実は駐車場だった)建物があったりと鳥羽駅前観光をした後、ふと線路を眺めると、近鉄特急が。

そうだ、近鉄乗ろう。

 JR東海のキャッチフレーズに競合会社の社名をぶちこむのはどうかと今では思うが、このときは本当にこう思ったのである。

 JRの駅舎の隣に壮大なホーム群があって、そこが近鉄なのだが、どう見ても駅舎のクオリティすらこっちのが上である。私鉄に負けるなんて、JRは何をやっているんだ。

 近鉄の駅に入るといろいろなテナントとともにお土産屋があった。赤福はおろか類似品の御 すら売っていなかった。仕方なく非常に酷似した商品を購入した。ちなみにこの後新年早々家族全員から「赤福」と呼ばれる運命にあったらしいのだが。

 赤福もどきを購入したら、松阪まで切符を買うことにしたのだが、なんと570円。伊勢鉄道の全線より高いんだけど…。

 改札に入ると、なんとそこにJRの改札内へ続く通路が。しかも中間改札がない。いったい近鉄とJRは仲がいいのか悪いのか…。

小田原00:31―(ムーンライトながら)―06:06名古屋06:17―(関西本線普通)―07:32亀山07:38―09:21伊勢市09:2507:51―(関西本線普通)―08:17四日市08:19―(快速みえ51号)―09:38鳥羽09:47―10:23松阪10:27―(近鉄線普通)―10:44伊勢市10:56―(近鉄線急行)―11:11松阪11:15―(名松線普通)―12:28伊勢奥津13:37―(名松線普通)―14:55松阪14:58―(紀勢本線普通)―15:38亀山15:42―(関西本線普通)―16:07柘植16:15―(草津線普通)―17:01草津17:07―(東海道本線新快速)―17:27京都17:38―(奈良線普通)―18:43木津18:52―(片町線・JR東西線快速)―19:59北新地―三宮

 伊勢市で急行に乗り換えないといけないらしいので、乗り換える。その間10分近く暇ができたので、スタンプを押しに行くと…なんとここも中間改札がない。ほんと、近鉄とJRは仲がいいのか悪いのか。

 名松線という辺鄙な路線に乗るためには、松阪牛(「まつざかぎゅう」だと思わせておいて正式には「まつさかうし」)で有名な松阪(「まつざか」だと思わせといて「まつさか」)で降りるのだが、乗り換え時間が4分しかなく、しかも一応学生の貧乏旅行なので、間違っても「極上松阪牛ヒレ牛肉弁当」(10500円)なんて買えるはずがないのは言うまでもないであろう。というか4分じゃ駅弁自体購入できない。

 ちなみに、松阪もまた、近鉄とJRの中間改札がなかった。つまり鳥羽から松阪まで18きっぷで乗ってもなんとかなったってことですな。畜生。

 そして、JR線完乗を目指す私としては、この国鉄時代末期に廃止されかけたけど周辺の道路すらないから廃止を免れたというこの辺鄙な路線も当然乗らないといけないわけで。存続の経緯も中途半端ながら、実は名松線の「名」は何かというと、松阪から名張まで結ぼうととりあえず伊勢奥津まで開業したら、のちの近鉄になる参宮急行に先を越されるという当時から国鉄にやる気がなかったことをよく示す路線なわけです。しかも、何でこの部分開業の終点にこの伊勢奥津を選んだのかはいまだに謎。

 松阪発車時点では満席といっていいくらいの人が乗っていた。そして…、

EKI NOTE

 寝てたら伊勢奥津到着。これは酷い。こんなんで完乗と言い張っていいのだろうかと思うが、沿線なんて森林くらいしかないから眠くなるのも当たり前だとひねくれてみる。

 地元民すら乗っておらず、気が付いたら自分ひとりというこの終着駅は当然無人駅。駅舎すらないのではないかと覚悟していたのだが、妙に新しい。村の公共施設と一緒になっているらしい。そして、そこにEKINOTEもとい駅ノートが置いてあったので書き込んだ。


 黒塗りのところにはなんて書いてあるのかって?というか読めねえよって?こういうのを検閲削除というんだよ。わかったかい坊や。何でそんなものを書き込んだのかって?

 過去のものを含めて10冊近く置いてあったのだが、これが全部が全部途中で終わっている。なので、数冊に書き込んできたので、伊勢奥津駅での暇つぶしの際には探してみましょう。ヒントは2007年12月30日訪問。

 一時間以上暇なので、駅前散策に行ったら、そこにあったのは一日一本しか発着しないバス停と、ただっぴろい駐車場と、たぶんこの駅舎と一緒に建てられたと思われる公衆トイレ。なんでこんなところで部分開業したのか、今となっては完全に謎である。

 同業者すらいないのでさっさと列車に戻って暖をとりたいのだが、運転手が詰め所に引きこもってしまい、そのせいで列車のドアが開かないという非常事態。そして、この建物の駅舎として利用されている部分には暖房なんか存在しない。寒い。

 あまりに寒いので粉雪が舞い始めた。こなあああああああああああゆきいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい(略

 発車10分前にようやくドアが開く。当然ながら乗客は一人。どう見ても運転手の給料(時給換算)>>>>売上。しかもその客は青春18きっぷ利用だからJR東海に一円も金が入らない。これでさらに道路がないっていうんだから最強。まさに道路特定財源の使い道を間違えたから残された路線としか言いようがない。

 帰りこそは…と思っていたら、またもや寝ている自分に失望。家城のタブレット(通票)交換を見ないでそのまま松阪まで行ってたとさ。

 松阪では乗り換え三分。乗り換えは一番線で、そこには駅そばがあるのだが、駅弁高くね?と突然思い始め結局買わなかった。ああ、この財布事情め。

 駅そばもあったのだが三分で食べきれるはずがないのでアウト。ちなみにこの駅そばで一番売れているのは肉そばらしい…。松阪牛を使っているとは限らないのに。

 そして、電車が発車した直後に気がついてしまった。駅そばならお持ちかえりも可能なのではないかと。どう見ても気づくのが遅すぎですね。気づくのが遅すぎるせいで朝からじゃがりこしか食べてないというしょうもない食糧事情になったとさ。とほほ。

 この後の最終的な目的地は神戸・三宮なのだが、なんと、関西線・草津線経由で京都に抜けた後奈良線で奈良に入り、そのままなぜか片町線経由で大阪に向かった後に神戸へ行くというとてつもなくひねくれた経路になった。なぜこうなるのかというと、草津線と奈良線と片町線という未乗区間を乗りつぶそうとしたらここうなった。まあひねくれてるのは今に始まったことではないのだが。

 亀山で関西本線の全部紫色というとてつもなくダサい上にたった2両しかないディーゼルカーに乗って柘植を目指す。ローカル線に似合わず立ち客出まくりである。今すぐ増結すべきである。

 この亀山―柘植には「加太越え」というSL時代の難所があったそうだが、今となってはただ単に川が流れてたなとしか思えない。

機械「柘植駅では、一番前のドアからお降りください。」

 草津線の乗り換え駅だというのに無人駅とはつまりどういうことなのか。まあ特急停車駅が無人というJR四国にはかなわないけどやる気がないのはよくわかった。

 草津線のホームに行くとついこの間(でもないけど)廃止された113系湘南8色(要するにいわゆるミカン電車。)四国の工場では脱線実験に使われていたあいつ(レールサイド42号130ページ参照)がなぜ関西にいるのかは今でも不明である。草津線もやっぱり混んでいた。座れたから別にいいけどどこの路線でも通勤ラッシュってあるんだという教訓を得て爆睡開始。脱線事故で有名な信楽高原鉄道の分岐駅があったからってその事件の時に生まれたわけではないので全く興味なしで睡眠ぐ(スイミング)。

お前、そろそろ寝過ぎだろ。。。

 起きたら草津を発動。もうこのお決まりパターン。最早このテンションで明日まで行くのか?

 ここから京都に行くのに、なんとJR西日本ご自慢の新快速に乗るのだが、この新快速は京阪神間ではやたら速いのに、そのほかの区間では停車しまくるせいで、草津京都間が20分もかかっているというのはあまり知られていない話である。

 新快速(笑)に揺られること20分、西日本ご自慢の転換クロスシートにすらありつけず、立ったままという非常に味気ないことをしたら京都到着。

 奈良線ホームが妙に遠いところにあるのがこの駅で、遅めの昼飯もとい晩飯を食べることにした。

 10分もあれば駅そばをすすって乗り換えるくらいは可能である。というわけで、関西のうどんの味付けの薄さに悶絶感動しながら昼飯もとい晩飯を食べてみた。ところで、西日本ではうどんの味が薄いので、どん兵衛の味を東日本と西日本で違う味にしているのだが、中学の某社会科教員いわく近江長岡で分かれているらしい。いちいち各駅で降りて調査する彼はよほどの暇人だったのか。それにしても、あの駅そばつゆが透明だったんだけど関西人的などケチなのか?なんてことは本気でどうでもいい。

 奈良線には昔新快速で使われていた(あれ、現役だっけ?)221系がいた。転換クロスと一緒ならもう一時間寝ないぜっ(←と、言いつつ今朝は名古屋のほうで転換クロスに座って1時間爆睡して挙句折り返したよな?)

 奈良線はもはやガラガラで、四人分の席を占領しても大丈夫なくらいであった。

 奈良線という名称のくせに実は終点の木津は京都府にあるため奈良県内を全く走行しないというわけのわからん路線であった。終点の木津には、見事なまでに何もなかった。感動した!

 あまりの何にもなさにすぐに快速新三田行きに乗ったのは言うまでもない。

 快速新三田行きは、片町線からJR東西線経由で福知山線に乗り入れ宝塚をはるか通り越して新三田まで行くらしい。なんと便利な世の中になったものだ。しかもこれを「しんみた」と呼んで変換できずに困ってた!(は)

 片町線という名称なのに終点の片町はなんか地下化の補助金のためだけに廃止になってしまった。「大阪城北詰」という無茶な駅名は、片町駅の移転ではなく新駅を設置した扱いにして補助金をぼったくるためにつけられたものらしい。補助金のためだけに歴史ある駅名(100年くらい前の駅)がなくなるというのはいかがなものかと思うのだが…

 北新地という地元民が賛同しないどころか反対運動さえ起ったという噂駅名の駅で降りる。別の駅名のように見えるが、地下道で大阪駅や阪神の梅田駅につながっているので実は便利な駅なのだが、北新地と大阪で降りることが許される切符があったりなかったりとしていろいろ複雑である。

 北新地から大阪まで歩いたが、大阪に来たからって一人さびしくお好み焼きを食べるわけにもいかず、ヨドバシカメラの体験ゲームで遊ぼうとしたらヨドバシカメラが既に閉店していて、壮絶に萎える。仕方ないので阪急梅田まで行って、ブックファーストや紀伊国屋で立ち読み。大阪まで来て俺何やってるんだろう…。

 ほんと暇なので、さっさと三宮に行くことにした。普通に行っても面白くないので、青春18きっぷがあるのにわざわざ阪急を使う。310円也。梅田から着席できるメリットと310円のどっちが安いのかは不明。お金で買えない価値があるってことですね、わかります。

 阪急の発車時刻なんて知ったこっちゃないので行程表は真白。

 そしてこの後何をするのかって?三宮で野宿?いいえ。ケフィ…じゃなくてジャンボフェリーとかいうそのまますぎるネーミングの船で高松に行きます。こいつは見事に夜行便なのだが、神戸港0時30分とかなので、壮絶に暇である。しかし、外は寒いしマックもといマクドは途中で閉まる可能性すらあるので入る気もせず。地下道を徘徊するというホームレス的な手法で時間を潰す。

 とてつもなく暇なので送迎バスを無視して歩いて港に行こうかと試みたが、全米が感動するほどの寒さだったので、送迎バスのバス停を探すことに。

 ジャンボフェリーの公式サイトによれば乗り場をミント神戸とかいう施設の1Fに移転したそうだが、そんなものが見つかる気配がない。駅の周辺を徘徊していると「連絡バス降車場」と書かれバス停に長蛇の列。え、降車場だよね、と思いそのまま駅を一周し続けた。

 二周くらいしてようやくそれっぽい施設を発見した。途中、なぜか運転停止中のエスカレーターを歩いてたような気がするがそんなことはどうでもいい。…これはどう見ても高速バスターミナル。こんなところから連絡バスが発車すると思えないので警備員に聞いてみた。

「ジャンボフェリーのバスは何時ですか」
「23時半と0時に6番乗り場です」

 どうやらここで合ってるらしいが、その6番乗り場にはなんか「四国方面高速バス乗り場」と書いてある。これに乗れば四国行けるんじゃね?と一瞬思ったが後ろを見たら高速バスの乗車券売り場は閉鎖している(午後九時までの営業)。

 高速バスの乗り場なのだから待合室くらいはあるので、ひたすらコーンポタージュを飲みながらまったりする。

 23時30分、マイクロバスと普通の路線バスの中間くらいのサイズのバスがやってきた。仮にもここは高速バスターミナルなんですけど……。



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