陰陽連絡を制する者が完乗を制す 二日目 2008年8月12日 陰陽連絡…なのか…?

大垣ダッシュの始まり始まり

 おはようございます。なんだかんだで鉄研で鍛えたのでぐっすり寝たような気がしますが時刻は午前5時55分。

 起きたばかりだけどもエクストリームスポーツ・大垣ダッシュの始まりです。どういうスポーツかを端的にあらわすと、

 なお、速度制限10km/hを誰がどうやって計測しているのかは不明である。


「まもなくー終点大垣です」

 車掌は言った。これは、徒競争なら「ヨーイドン」の「ヨーイ」に相当する。相当の客がデッキに移動しているが、みな一様に進行方向右側を見つめている。わたくしは一番後ろに並ぶふりをして、進行方向左側の扉に並ぶ。そう、大垣駅では進行方向左側が開くことを私は長年の経験と勘から(嘘)知りえていたのだ。これは相当優位に立ったに違いない。

 列車は減速し、ホームに入った。乗客が焦っているように見える。ふはは。まぬけが。

 プシュー

 ドアが開いて戦いの火ぶたは切って落とされた。私は当然真っ先に飛び出すのだが、右手に持っていたそれがとても邪魔であった。

 そう、キャリーバック。私はこいつのせいで階段がまともに登れず、争いに負けたのだった……。 

GAME OVER!!!!

米原ダッシュというのもあるんだぜ

 気を取り直して以下に本日の行程を以下に示す。

5:55大垣6:00―(東海道本線)―6:33米原6:49―(北陸本線)―7:37敦賀7:44―(小浜線)―9:34東舞鶴9:47―(舞鶴線)―10:32福知山11:21―(山陰本線)―12:01和田山12:03―(播但線)―12:55寺前12:59―(播但線)―13:43姫路13:57―(山陽本線)―14:07加古川14:41―(加古川線)―16:27谷川16:49―(福知山線)―17:35福知山17:53―(福知山線)―18:50篠山口18:58―(福知山線)―20:05大阪22:05―(ムーンライト九州)―5:34下関

 勘の鋭い読者なら気づくと思うが(それはない)、この作者、JR西日本の路線は近畿地方を除いてほとんど乗車していないためこれから五日間、地獄を見るのである。

 この路線群は、山陰地方と山陽地方を結んでいることから「陰陽連絡」(読み方は「いんようれんらく」だ…と思う)などと呼ばれているが、この路線は、伯備線と福知山線をのぞき(福知山線は陰陽連絡なのか?)、ほとんどが単線非電化なのはもとより、列車が一日に数本しかないような路線ばかりなのだ。これをすべて乗れば、もうほとんど完乗に向けた難関は無いに等しい。そう、「陰陽連絡を制する者が完乗を制する」のだ。

 脱線しすぎてどこから話を戻せばいいかわからなくなったので米原到着(コラ)。余談だが(またかよ)、大昔「まいばら」を「べーげん」と呼んだ先輩がいたそうで、以来鉄研では米原のことをべーげんと呼ぶ風習があったそうだ。最近では見る影もない。

 米原からは、大阪方面へ最速で移動するために新快速に乗り換える客を尻目に、北陸本線に乗り換える。

 この駅は特殊な構造をしているらしく、北陸本線の発着ホームが5-7番線のいずれかという意味のわからないことが起きている。千葉駅程じゃないけどややこしいからなんとかして。

べーげん

 北陸本線と言えばあの食パン(715系など)が思い出されるが、新快速でおなじみの223系であった。(←新快速が敦賀まで直通してるから当たり前)そういえば、電化方式が違うのにあの食パンは走行できるのだろうか?

 「スーパー転クロタイム」。東京ではお目にかかれない転換クロスシートに乗る機会である。

※転換クロスシート…背もたれが前後に移動する機構により着席方向を切り替えられる座席。競争の激しい関西では当たり前のように装備されている。ちなみに、JR東日本以外の全てのJR(JR四国でさえも)ではこれを導入している。

 湘南新宿ラインにも転換クロスシートを導入すべきであるという川島令三理論は置いておいて、飲み物を買いに行って戻ってきたら…

満          席

 …いくら夏休みだからって四両編成じゃ話にならないか。

 ここの区間は何回も乗っているので惰眠を貪ることにする。

ZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZ

 ぐっすり眠っていた俺は新疋田付近で目が覚めた。そういえばここにはループ線があった気がするので窓をじっくり観察してみる…が…どこにループがあるんだ…と思っている間に敦賀到着。列車からだと見えないのか、進行方向左だけ見てたのが間違いだったのか…

 ※ところでループ線になってるのは上り線(大阪方面)だけでした。

 ループが見れなくてガン萎えした私はそれでも、ホームの奥の方に停車したこの電車から思いっきり離れたホームに止まってる小浜線に乗り換えるために走るのであった。

 小浜線といえば、オバマ大統領が当選しただけでものすごいフィーバーしていた小浜市の小浜である。ごもっとも、小浜駅は何もなかったかのように通り過ぎるしこの夏の旅行のころにはクリントン氏の方が優勢だったような気がするのでそんなことは汁ほども意識していなかったが。

 小浜線に走っている電車は、125系とかいうあまり有名でない車両なのだが記憶によれば川島令三氏の著書(←また川島か)で「一列・二列だった転換クロスシートを、苦情を受けてすぐに二列・二列に改修した。これはJR西日本の対応の早さを物語っている」みたいに紹介されていた。本当にそれだけである。

 席が取れなかったので列車後方の運転台の隣の微妙な空間に立って本を読み始めた。いや景色を見なさいよ、あなた。乗り鉄失格でしょ!!と脳内で天使が叫んでいる気がするが無視する。車窓と言えば、「近江今津―上中間の若江線(じゃくこうせん)の早期着工を求める!」みたいな看板が上中駅に立っていた。国鉄時代じゃあるまんしもう無理だろ。川崎市営地下鉄より実現可能性が薄い気がするんですがね。

 転換クロス気持ちいいぜとか思っている間に東舞鶴に到着した。超スピードだとか催眠だとかそんなチャチなもんじゃ断じてなかった。

 舞鶴線の車両は113系…と言いたいところだがWikipediaによると113系と115系が両方走っているらしい。どうやって区別するんだこりゃ。というわけで、写真を貼っておくので国電に詳しい方がいたらどっちか判別していただきたい。まあどうせ白黒印刷で潰れて何が何だかわからないというが関の山なんですけどね。(※鉄道ヲタクが何系とか話してるのがうぜーよって方向け…113系は数年前まで東海道線で走ってたミカン電車のこと。115系は東北本線で走っていたそれ。え?見た目の区別がつかない?もつかない)


 東舞鶴と西舞鶴があって何故か舞鶴がないこの舞鶴線では、転換クロスに座らせろよとしか考えずに福知山まで行く。

 福知山で昼食を調達しようとしたところ、駅そばくらいあるだろうと予想していた俺は絶望した。

 学生の貧乏旅行ってそんなもの。仕方なくキオスクでじゃがりこを購入して山陰本線で頬張ることにする。じゃがりこうめえ。

 わりと混雑していて立ち席になる。どうして東京からこんなに遠く来てまでこんなことになるんであろうか。

 和田山駅ではホーム反対側の列車に飛び乗る。そこにいたのはキハ40系とかいう、国鉄が債務を抱えまくりながら量産したボロである。国鉄型にありがちなボックスシート、こういうのを見ると田舎に来た気分になれる。

 決して快適ではなかったが空いていたのでようやくじゃがりこを食べ始める。

 播但線は全線非電化だと思ったら大間違いだったらしく、寺前から姫路の間は電化しているらしい。何故ここを電化したのかは誰も知らない。いっそのこと全線電化してはまかぜ号の高速化をはかるべきである(川島令三風に)。どうりでここで列車が途切れまくってるわけだ。

 寺前四分接続でやはり今度も電車が目の前に止まっていた。関西ではまだばりばり現役の103系である。

※103系が何だかわからない一般人の方へ…20年くらい前まで走っていた「まあるいみどりの山手線」の車両といえばもうわかりますね?え?ゆとり世代だからわからない?じゃあ常磐快速線に数年前まで走っていた全身緑色のあいつっていえばわかるだろうか?

えきそばはどこじゃ!?

 姫路と言ったら一般的には姫路城!国宝!世界遺産!ヒャッホーイ!!といったところなのだろうが、鉄道ファン(あくまでオタクではなくファンとよんで欲しい人種)にとっては、駅そばで有名な役なのである。

 その名も何と「えきそば」!

 え?いや、姫路駅にある駅そばの店名は「えきそば」というんです!

 この「えきそば」では、ラーメンのような麺でつゆは普通のそば・うどんのものという一風変わったそばが食べられることで知られる。戦後の物資統制の中で小麦粉が不足したのでかん水を使ったらこうなったという。

「えきそばはどこじゃ!!」

 などと戦国武将っぽく呟くと、山陽本線のホームに向かって歩き出した。

 地平にある播但線ホームから、山陽本線ホーム(高架)まで普通に歩いているのに乗り換えにかなりの時間を要す。(※なお現在は播但線・姫新線のホームも高架化されたのでそんなことはなくなったようであるが。)

 山陽本線のホームをひたすら歩いてそこにあったのは…

「えきそば」

 時刻は14時05分。本来乗る予定だった次の新快速まで二分しかないが、このままだと加古川駅で相当長い時間待たされるので一本見送ってそばというおやつを堪能することにする。

 そういえば昼飯はじゃがりこだったよな…?あれ…?

 なお、味についてですが、わたくしは彦麻呂ではないためレビューを書けません。あしからず。自分の足(舌?)で確かめろってこった。

 これから加古川に行って加古川線に乗って福知山線に乗って…と、実はまだ行程の半分でしかない。しかもこれ何本立てなのかわからないが最初の旅行記の初日である。

 何もなかったかのように新快速で加古川到着。「えきそば」は実は加古川駅にもあったことが判明した。

 山陽本線と加古川線の間になんと中間改札があった。しかも自動改札がずらーっと。筆者の利用する宮前平駅の改札より多いのではないだろうか。

 これから向かう加古川線が無人駅だらけで(でも自動改札機ってことは磁気券は売ってるのか)いかにもローカル線な感じを全力で期待しているのだが…


 写真のとおり、加古川線はとっても新しい車両になっていました。しかも電化しているらしい。播但線の非電化区間くらいの車両が走っていることを期待していたのに見事裏切られました。旅情もへったくれもあったもんじゃない。

 この電車は、一日数本しかない全線直通運転の列車なのだが、途中西脇市駅で30分停車をする。なんとなく騙された気分である。

 そうそう、この路線には厄神駅という、名前だけで罰があたりそうな駅もある。

 終点の谷川駅は駅員一人、本当に山間にあるただの乗り換え駅であった。ここから、福知山まで行って折り返し、篠山口で大阪行きに乗り換えると見事に福知山線完乗であるが、車内検札が来たこと以外何も特記すべきことがないので、省略。初日からこんなにネタ切れの様相を呈していていいのだろうか(いや、ない。)

 当初たてた計画だと、このあと大阪で2時間暇になる予定だったのだが、時刻表を駆使した結果、

20:05大阪20:11―(大阪環状線外回り)―20:17京橋20:20―(片町線)―20:24放出20:43―(おおさか東線)―20:58久宝寺21:01―(関西本線)―21:10天王寺21:17―(大阪環状線外回り)―21:40大阪22:05―(ムーンライト九州)―…

 以上のとおり未乗区間のおおさか東線に乗れることが判明した。

 大阪名物をなんか食って行けとおっしゃる方もいるであろう。しかし、名物を無視して旅行をするのもまた乗りつぶしの醍醐味なのである(たぶんちょっと違う)。

 ところでおおさか東線の「放出」駅を正しく読める日本人はどれくらいいるのだろうか?

@はなてん Aほうしゅつ Bはなだし

正解は画像で!ということに

答え

 大阪では都市部でも未だに103系(※繰り返し言うと、首都圏では常磐線を最後に全廃されて今では鶴見線でさえ残っていないあの車両である)が走っていて、新線なのにこういう車両というのはどういうことだJR西日本!

 「コスト半分・電力半分・寿命半分」のJR東日本に対して旧型車を徹底的に改造してずっと使うのがJR西日本というやつだと川島令三が言っていたが、コスト削減しすぎて半分になった寿命を迎えたときにひどいことになっている209系と、老朽化をごまかしごまかし40年以上使い倒している103系と、どっちがいいのかなんて知らない。

 そもそもこんな夜に乗りつぶそうというのが無謀な気がするのだが、おおさか東線は変な駅名ばっかりだという感想だけを持ち本日の旅程を終了する。

 時間的に大阪のキオスクで晩飯を調達するしかなかったので旅行に来てまでコンビニ弁当という壮絶な選択になったのは特筆しておくべきかも知れない

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